関大映研のブログ

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KFC Diary

Filmmaking is our Blood

マウンテンマウス

 3月が始まったばかりのある日、我々えいけんは関西国際空港に集合していました。後輩の留学を見送りたかったのです。まあ、見送りの話は割愛しましょう。
 見送りを終えたあと、ある後輩(以降、後輩Hと呼称)は自主制作ドキュメンタリー映画に使うインタビューを撮るようでした。関西空港にいる一般人に成田闘争についてインタビューをするらしいのです。僕はなんとなく後輩Hについていきました。特に手伝うわけでもなく、ついていっただけです。そういう不届き者は僕の他にも数人いました。
 後輩Hはインタビューに協力してくれそうな人に声をかけるも、すぐに断られていました。急に話しかけて、インタビューさせろというのも無理な話です。断られても、後輩Hはめげずに次々と声をかけていきます。しかし、なかなかインタビューに応じてくれる人はいません。
 ふと椅子が並んでいるほうを見ると、普通の旅行客の中に一人だけ異彩を放つ男性がいました。彼はカラフルな法被を着て、頭にはサンバイザーをつけ、椅子に座って本を読んでいました。よく見ると法被には『ありがとう 幸せの連鎖』という文字が書いてあります。
 どう見ても怪しいのです。顔もちょっと恐い系の顔です。なんとなくラップが得意そうな雰囲気がありました。僕ならその人にインタビューを依頼する選択肢はありませんでした。怪しい人に自ら関わることもないでしょう。触らぬ神に祟り無しです。
 しかし、後輩Hは彼にインタビューを依頼しに行きました。
 僕は驚きました。自ら怪しい人に関わりに行くなんて。このままでは後輩Hはラップで殺されてしまう、そういう予感さえありました。
 そして、僕はまた驚きました。彼はインタビューに協力してくれたのです。それどころかインタビューのあとに後輩Hと彼は軽く雑談まで繰り広げたのです。彼は成田闘争とは何なのかと問い、そういうことに興味を持つのは良いことだと感心したそうです。
 全然恐い人ではありませんでした。
 なんだかんだで、インタビューを撮り終えて空港を出ようとしたとき、我々はまた先ほどの彼に会いました。彼は、「まだしばらく空港にいるから、また何かあったら声をかけて」と言い残して、去りました。既に、僕が最初に彼へ抱いた怪しいとか恐そうという印象は完全になくなっていました。彼は凄い良い人で、僕もああいう人になりたいと感じていました。
 去っていく彼を後輩Hは追いかけていきました。
 しばらくすると、後輩Hは彼が読んでいた本をもらって帰ってきました。
 本には彼の電話番号が記されていました。ラッキー兄弟マウンテンマウスとも書かれていました。
 ラッキー兄弟マウンテンマウスという単語を聞くのは初めてでした。芸名か何かだろうとは思いましたが、よくわからないのでインターネットで調べてみました。
 すると、マウンテンマウスのホームページがでてきたのです。
 クリックすると、そこには先ほどの彼がギターを持って歌っている画像が載っていました。
 彼はミュージシャンだったのです。しかも、ラップ調の曲も歌っていました。
 インディーズでCDを何枚も出していて、CMにも4本出演していました。
 マウンテンマウスとは山口のことで、山口ではどうやら有名なようです。
 カラオケにもマウンテンマウスさんの曲がありました。いつかカラオケで歌えるようになりたいものです。

 マウンテンマウスさんの動画