関大映研のブログ

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KFC Diary

Filmmaking is our Blood

おはようございます

もしもの為に、こんにちわとこんばんわ。

早く映画を作りたくて、気だけ急いでいるイシカギです。
3月1日は、CO2(Cineastes Organization Osaka)が主催する映画祭を見に行きました。

・どんずまり便器
・熊の神
・PASSION

上記の三作品は、どれも心血を注がれた、とても面白い作品でした。個人的には断然PASSIONが好きでした。
用事が重なり、もうひとつの上映作品である

・C.J.シンプソンはきっとうまくやる    を見れなかったことが心残りです。3日まで、やっているらしいので興味のある方はぜひ

http://www.co2ex.org/

以下は、不快に思われるかもしれませんが、すいません。我慢してください。

さて、みなさん。映画の醍醐味とは何だと聞かれたら、何とお思いになるでしょうか
僕は、映画の持つ中途半端さ だと思います。決して悪口を言っているわけではありません。
音と、映像と言う表現媒体がそうさせると思うのですが、映画は完全な空想になれる事なく、かといって完全な現実であるわけでもありません。人間が演じているものを映画と言っています。
比較例として(僕の考える)演劇と小説(長編&短編)とを挙げたいと思います。

文字媒体である小説は、受け手の思う通りに、たまに作り手の思い通りに想像され、受け手は、これは空想である。と全面的に理解しながら、世界観を作っていきます。

演劇は、人が、実際に舞台上で演じる一期一会のものです。波長が合う、合わない、というのは劇団によってありますが、まるで自身の人生の一部であるかのように感じ、喜び、悲しむことができます。

映画が成立するとき、制作者の意図したとおりに映像は制作され、音が付け加えられ、保存されます。
制作者の物語を現実と言う映像を切り貼りして、作っているのです。
つまり、頭ごなしに、空想だと言えない状況下で、空想と現実とのバランスを制作者が自在に調整できるのです。

芸術作品は、多くの人にとって娯楽であると思います。しばし現実を忘れ、空想に浸りこむ為のもの。しかし、これはよくないことだと思います。癒し系女性がはやった時、あるコメンテーターが
 癒すだけ、癒した所で、癒された人は強くなったわけではない。むしろ、逃げ道ができて弱くなっている可能性すらある。
といっていました。娯楽も、このことがあてはまると思います。
現実味を多分に残した映画という空想の中では、新たな現実を見ることができ、それは娯楽であると同時に現実の糧となる。
楽しさを知り、恐怖を覚え、喜びを感じる。
生きていく希望にすらなりそうです。

要約すると、映画スッッッッゲェェェェェェェェェーーーー!!